宮地岳城を抜くの巻き

最後にここに来たのはいつだったか、よく覚えていないがもう15年くらいは前の事だろう初詣で来たのが最後だったな。

紹介ページを書いたときは記憶だけで書いちゃったから、今は無くなった施設まで書いてしまった。その反省も込めての取材だし、久し振りに山に登るのも、また一興。

 

宮地岳城抜いてご覧にいれましょう

駐車場から見た宮地岳

 宮地嶽神社と言った方が大抵の人は解りやすいと思うんやけど、地元の人以外はどうなんやろう?

 結構支社はあるみたいやけど・・・

 福岡では大宰府天満宮、箱崎宮に並ぶ初詣のメッカやし、少なくとも県内では広く信仰されとると、思います。

 実はこの山に城があったことを知ったのは2年くらい前で、「福岡県の城」といふ本を買ってからの事で、もちろんそれまでは、只の大きい神社としか思っとらんやった。割と便利な所にあるし、そのうち行こうと思っとったけど、きっかけが無かったけん、ずるずる放置ばしとったです。

 能書きたれるとは、ここまでにして、抜きに行くばい。

門前商店街

 な、何だ、店ほとんど閉まっとるし、人おらんやん。

 何ぼ平日ちゅーても・・・。昔はもっと人がおった気がするんやけど。まーいいか、人目をあまり気にせず調べられるけん良かよ。

 とりあえず、松ヶ枝餅でも食おうかな、と思ったが店の人もおらん。焼きたてのやないと嫌やけん帰りに回しとこう。

 とりあえずは、本殿目指して突き進むのじゃ!

 しかし、石段て、結構ダルいな、やっと門が見えてきたばい。どんくらい登ったっちゃろか、そうたい海まで続く参道の写真も撮っとかないけん。

 

 

 ふー、やっと本殿に着いたばい。しかしこれ位で疲れとって、本当に城ば抜けるとかいな。まあ良い、とりあえずお参りしとくばい。

 まず目に付くのが大きな注連縄、日本一の大きさを誇り、二年ごとに氏子さん達が作り直しているので少しずつ大きくなっていると言う話も・・・

 他にも鈴・一枚皮の太鼓も日本一らしい(ばつまる様談)

 

 なになに、「二礼二拍手一礼」?

 この頃は神社も親切になったったい。お参りの仕方まで書いとるばい。

 礼、礼、パン、パン、どうか無事に帰れますように・・・

 

 さて、おみくじば引こうかね。うわ、何種類あるとか?いっぱいありすぎて、どれが良いか解らんばい。

 いいや、本丸ば抜かないかんし、後にしょう。

 須賀神社さんの支社もあるとたいね。小学校の頃神輿運んだことあるな。

 ん、のぼりをよく見ると、「藤井フミヤ?」

 やっぱり、あのF.Fさんでしょうか。

 でも住所は福岡市になってるし・・・。

どうなんでしょうか?

 

 

 

 さー、奥の院に突撃じゃ。

 多分知っとる人も多かろうけど、ここは古墳の石室の中にお不動さんば祭っとるとね。

ばつまる様が言うとったけど、ここの石舞台も日本最大級らしい。

 日本一が多かー。すげーぞ宮地嶽神社。

 確かに奥の院(宮)と言うだけあって奥の方にある。ちょっと遠いな。

 いかん!雨まで降ってきやがった。急がねば。

 ふー、坂道を走るとやっぱキツイ、とりあえず屋根もあるしお参りして、すこし休むか

なにやらお経が聞こえてくる。おばあちゃんが熱心に何か祈りよんな-ばい。

 なになに、「ろうそくと線香を買ってお供えしてください。」

では早速、しかしこのろうそくさすやつって、燃え尽きたら寿命が終わるって話が思い浮かぶから、何か嫌だ。降りてくるまで、消えないことを祈っとこう。

 お、おばあちゃん終わった。今度は俺の番だ。

 うわ、確かに深いはこの石室。撮影禁止とは書いてないが、抵抗あるし、人目もあるしとりあえず、写真はパスしとこう。

 雨もやんだし、本丸目指すばい。

 

 そのまま、奥の院から裏へ続く道を登って行く、古宮との看板もある。

 間違い無さそう。本でもこの山のてっぺんて書いてあったし、ばつまる様も言うとった。

さつきが咲いとるけど、時期的にもう終わりやけん失敗したなー、5月頭に来りゃ良かったかな。この道もえらいくねくねしとって、えれー遠回りやし・・・

あ、これってもしかして昔あった滑り台の跡?

あの滑り台も日本一とか当時(20数年前)言ってなかったかな?

 ところどころに、獣道みたいなのがあるな、ぜったいこっちの方が近いばい。くねくねの終わりんとこまで見えた、よし、一気にはしって登るばい。

 看板がある。「自然遊歩道・・・この道は在自山を経て・・・(略)」

 「なんと、間違えたら在自に出てしまうだと!」

 こりゃ気い付けとかんと無茶苦茶時間食うばい。あっちの方にも興味はあるが、この後の取材も考えると時間は足りん。

 ここから、宗像大社、樽見峠を通って芦屋に抜ける官用道があったと、言われたが菅原道真さんとか、防人の人も通ったとやろか?何か名前付けて観光誘致出来ないか、防人ロードじゃ悲壮なイメージだし、ばつまる様の言うように万葉乃路の方が良さそうですな。しかし、山歩くのも久し振りやね、何年ぶりかいな。何か気持ち良いばい。

 お、分岐路だ。

 こりゃ当然左やね。

 楽勝楽勝、この分やったら、もうすぐそこかいな。

 

 

 

 

これは、何かの跡じゃない?見難いけど三畳位の平地がある。

ここに門があったんじゃなかろうか、

いかんせん知識が足りないから決定的な事がわからない。でも、わざとらしく平らになってるし、俺の中では大手門跡に決定。

 しかしさっきの分岐から道が極端に狭く、勾配もきつく登りにくくなったな。やっと山登りって気分も出てきたけど、景色があんまり見えんし、あと、どんくらいやろうか?

 こ、これは!

あきらかに人工物、しかし落ち着いて考えると、城に石段は作らないよな。でも光が見えるし、もう、すぐそこやん!

石段を登ると平地になった。

うん、まちげぇーねー。二の丸か、三の丸ばい。もう一段上が本丸跡の筈だ。

ヲリャーっと攻め上がるとそこには

 宮地嶽神社古宮、ここが宮地嶽神社発祥の地か・・・。

 小さいながらもピカピカに光り輝くステンレスの祠、横には。フジマックの刻印が!嘘

 ステンの祠とは、何か釈然としないがとりあえず、

宮地岳城本丸ぶち抜いたり! 

左が津屋崎方面を撮ったもの東郷公園がほぼ真正面に見えます。

右側は本丸から下の斜面を撮ったものです。

木が多く津屋崎方面以外は本丸跡からは、良くみえんばい。

 

 

 

 そして、御来光澎湃所についてみると、「古代の人はこの岩の上から日の出を見ていた」

と看板があり、岩に行こうとするとなんと立ち入り禁止、乗るなとの表示が・・・

「行けねーのかよっ!」

 同じルートで帰るのは嫌なので、南側の曲輪群跡から、下山を試みる。

無茶、急やん

 しかし、人が通っていた形跡ははっきりと残っている。

 もしかしたら、在自に出てしまうんじゃないかと不安は残ったけど

そん時はそん時、タクシーでもバスでもあるさ、行って見ようやってみよう。

 いかん、さっき雨が降っとったの忘れとった。

 足元が危なすぎる。

 しかし、ここまで降りてまた登って戻るのは嫌だし・・・

 上を見ると、、戻るほうが嫌になる急勾配。

まあ、曲輪跡だから当たり前の事なんやけど、初の城抜きで舞い上がってそんなこともすっかり気が付いてなかった。

 そんな訳で急勾配地点をどうにか過ぎると、後は普通の山の道。

 てくてくと下っているが、擦違う人もいないし、木立の中を歩くのって、やっぱり健康的で良いね。

 しかし、この道なんか山の回りをぐるぐる回ってるので方向感覚がなくなっちゃってます。お、海が見えた、どっちや、今どの辺のおるとか?

 宮地浜やねもうちょっとやね・・・。

 

 今度は立花山が見えた。

でも、木が邪魔して写真とれんばい。

この城は立花山城に対しての防衛拠点として、築かれたと言うことだし、山の上から撮っときたかったが、仕方が無い。

他にも調べな、いかんとこもあるけん、こげねとこで道草くっとう暇やらないばい。

 

宮地岳城は城代として小樋蔵人(但馬の守?)、阿部藤七郎が務めていた。とされている。最後の大宮司宗像氏貞の時代ですね。他には宗像氏国の居城であったとの説もあるようです。

 

今回の城攻め終了

 

 

・宮地岳神社民家村

 

ここからは、民家村の話です。合掌作りの家、高床式倉庫、佐賀の方の民家、筑後の方の民家が展示してあります。佐賀の民家では唐津焼の展示会をやってました。(白い車が止まっている家)、他にも大道芸の方も練習?に来ていました。

真ん中には菖蒲池があり、まだ華を付けてはいましたが、ここのところの少雨の影響でしょうが、水も少なく元気が無い感じでした。昔はこの辺にミニ動物園があり、馬も居たりと、結構子供も楽しめる所だったんですが20年くらい前になくなったそうです。

て、事は無くなる寸前に行ったんだ。

 

 

最後は駐車場から見た立花山と神社経営のカルチャースクール「文華学園」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つわものどもがゆめのあと

宮地嶽神社公式HP

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